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|||月の涙|||

本当の供養とは、故人を思い出す時に明るい感謝の気持ちで思い出すこと。それが故人の居る魂の世界に届きます。悲しい気持ちで思い出すと、その気を受けた故人はおいおい、大丈夫か? と、心配する事になります。笑顔と感謝のキモチを忘れずに☆

浦上川

昭和57年7月23日-。
長崎の川という川、ダムや崖は怒り狂ったかのように自然の猛威を震った。
当時7歳の私の脳裏に焼き付いた風景を、私は今も忘れることができない。
私が小さい頃住んでいた「川平」という地区は被害の多かった幾つかの地域のうちのひとつだった。
家の傍には川が流れていて夏になると蛍がたくさん現れた。
水もキレイで魚もたくさんいた。
遊び場所といえば、いつも川だった。

小学校に入学し始めての夏休みを迎えた私は、ウキウキワクワクしていたのに夏休みに入った途端、連日の大雨に見舞われ家の中でしぶしぶ遊んでいた。
それでも外に出たくて小降りになった隙に傘をさし外に出た。水害の前の日7月22日。
お気に入りの姉とお揃いのキキ&ララの紫のビーチサンダルを履いて家の前を流れる川のそばで「あ~~~した 天気に なぁ~~~~~~~~~れっ!!」
と思いっきりサンダルを空に放った。
サンダルは前ではなくおもいっきり後ろに飛んでいった。
「あ!!」と思った時にはすでに増水している茶色の濁流の中にあっという間に呑み込まれていった。
「あちゃ~~(><)お母さんに怒られるばい。どうしよ~。しょうがなか。正直に言わんば・・・。」
その時のサンダルの柄を今でもはっきりと覚えている。

次の日も雨は振り止むことはなく、次第に雷も伴って激しく降っていた。
側溝からはとっく雨水があふれ道路を走る車も次々とザザーーーッと大波を作っていた。
その日は耳鼻科に予約を入れていた。家から歩いて20分程のところにある耳鼻科までレインコートと長靴、傘もさしているのに着いた時にはびしょぬれになっていた。
帰り道、
「雨止まんね~。ひどかね~。」
と母と話した。
夕方をとっくに過ぎた時間になっても雨は止む気配は全くなく、かえって強さを増していった。仕事に出たきりの父は帰ってこない。
突然、大きな雷の轟音とともに家中の電気が一瞬にして消えた。
「キャ~~~!こわかね!ね~ちゃん、こわかねぇ~!まっくらばい!」
私と姉は懐中電灯やろうそくの中でひそひそ話しをした。
電気は復旧する様子も全然なく、そのうちに外に様子を見に行った母が帰ってきた。
「川のあふれよる!避難せんば!!」
母は、当時まだ2歳だった妹をおんぶし私と姉の手をひき近くの市営アパートへと連れていった。アパートはちょっと高台にあった。とりあえず知人の家に寄せて貰ったがそこは1階だった。人の家はなんとなく緊張するし、いつもの感じと違うことにドキドキしていた。
そのうちに1階の部屋にも水が押し寄せてきた。
ここも危ないということで3階の二人暮しの老夫婦の家に避難することになった。
大人たちは和室の仏壇の前でろうそくを灯しずっと話し込んでいた。
「あんたたちはもう寝なさい。大丈夫やけん。」
私はギュッと目をつぶったが眠れずに大人たちの声をぼんやり聞いていた。
大人たちがざわざわしはじめた。
ひとつの単語が私の胸を大きくドキリとさせた。
「なんか、あっちから死体の流れてきたって!」

し・た・い!!

’したい’ってなーん?こわか(怖い)と?ゆうれい?
起きてみると皆ベランダから下を覗きこみ、指差している。
「ほら!あれ!!あそこ!したい!
「どれー?」「ほんとだー!」「あらーかわいそうかねぇ」
私も覗きこんだが、’したい’は解らなかった。
いつもの芝生の公園が海みたいになっていた。
怖くて怖くてギュッと目を瞑っているといつのまにか寝てしまっていた。
お父さんはとうとう帰ってこなかった。

夜が明けた。
外に出てみるとお父さんがお母さんとおねえちゃんとわたしと妹の名前を叫びながら川の上流の方向から歩いてきた。
お父さんの話しでは車で途中まで帰っていたが上流の橋の上はゴーゴーと水が流れておりとても車で通れるわけがなかった。父は車を乗り捨て傍にいた見知らぬ男性とふたりで濁流の流れる橋を歩いて渡ったらしい。
渡り終えて振り返るとメリメリッバキバキッという音とともに橋ごと流れていったらしい。
「あれは間一髪やった。死に損なった」
と今でも話している。
家族5人揃ったので家に戻ってみた。
狭い家の中はむっとした空気がたちこめ、畳が浮いていてあちこちビショビショに濡れていいた。
なんとか床下浸水ですんだようだった。
どうやって片付けたのか、とかは全く覚えていない。

町を歩くとガードレールに車がぶらーんとぶら下がっていたり川には大きな岩がごろごろと転がっていた。いつもの川とはまるっきり別物だった。
橋の欄干のたもとには’ござ’にくるまれた豚の死体が転がっていた。
「うわぁ~豚の死んどるぅ。」
私は目を背けた。

何年も後になって、人間は水死すると水を含んでパンパンになると聞いた。
あの時、ござにくるまれていたのはもしかしたら人だったのかもしれないと思うと何とも言えない気持ちがした。

この水害で私と一緒に一年生になった同級生の男の子が2人亡くなった。
ひとりは家ごと流されて一家全滅だった。
入学式の白いスーツを着た母親の姿をよく覚えていると母は言う。
どんな子だったかは覚えていないがふたりとも名前はよく覚えている。
2学期の始業式のときに全校生徒で黙とうした。

また別の同級生の男の子は、家ごと流されたけど気が着いたらトラックの荷台の上で何日か入院したと言っていた。
彼の母親は亡くなった。
彼は男ばかり4人兄弟だった。残された父親と兄弟の悲しみを思うと今でもやりきれない気持ちがする。

あれから23年-。
川はあちこちで増幅の工事が行われ、少しずつ平穏を取り戻していった。
けれどあの日の記憶は消えることはない。

7月23日が来る度に、蘇る記憶の断片。
災害がもう起こらないように、と切に願う。
そして、あの日の299人の犠牲者の方のご冥福を祈ります。

なんか、一生懸命書いたのに、
下の方に「おならぷぅ~~」って見えてる・・・。

真剣味ゼロ。

あぁ、わたしって・・・

2005.07.23 21:50 URL | パピコ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

当時のリアルな映像が浮かんでくるようです。
辛い体験だったね。

自然の前には人間は脆いけど、
強さをつけていくのもまた人間だよねぇ。

宮城県沖地震、何時来るのかなあ?

2005.07.23 22:03 URL | Curtis #- [ 編集 ]

昭和57年ですでに7歳のパピタンに乾杯!
ちなみにおれ1歳!
7月生まれな妹は生まれたばかり!

2005.07.23 22:15 URL | つぼ #- [ 編集 ]

当時、自分はいっぱしに東京で大学生などをしておりました。いつものように飲みながらテレビを見ていた、長崎出身の先輩が画面に釘付けに・・・そして一言
『今流されて行きよったの、うちんがたの車やん』

半分流された眼鏡橋・・・水害前に橋のたもとの金物屋さんのじーちゃんが、鯉にえさをあげていたのを今でも覚えています。。。もうそんなになるんですね・・・

自然って、スゴイです。3月20日の福岡西方沖地震でもいやと言うほど感じました・・

2005.07.23 22:42 URL | ブンブン丸 #- [ 編集 ]

長崎に住んでますが、初めて水害についてこんなに詳しく知りました・・・
父や母の説明じゃ近所の事しか話さないので
そんなに大した事のかと・・・
その当時は母のお腹にいましたので。
そんなに凄かったのですね、今日も仕事で黙悼できませんでした。
来年からは新たな気持ちで黙悼できそうです

あ、つぼさんの妹さんと同い年だ

2005.07.23 23:03 URL | えり #u3MRTyDc [ 編集 ]

■Curtisさん
今日、東京で地震がありましたね。被害がなさそうなのでとりあえず安心しました。
長い記事を読んで下さってありがとうございますm(_ _)m
これは小さないち長崎市民の体験です。
自然の猛威は私の胸につきささり、自然を大切にしなければという気持ちの原点になっているのかもしれませんね。
■つぼっち
やっぱ、明日マグロかぶりたいのね?カマ入手したっていいよったしね(-.-)y-゚゚゚

2005.07.23 23:19 URL | パピコ>Curtisさん、つぼさん #- [ 編集 ]

■ブンブン丸兄さん
故郷の変わり果てた姿…できれば見たくないですよね。この体験がなければスマトラとか新潟とか神戸とかこの前の福岡西方沖地震ももっと人ごとのような感じで画面を見てたのかもしれないですね。
もっと崩れにくい根のはる樹を植え地盤を強くするとか、海水温度の上昇を防ぐとか根本的な被害を防ぐ術を私たちは考えるところに来ていると改めて思います。
■えりちゃん
読んでくれてありがとね(^-^)浜の町のアーケードとかもかなり浸って大変でした。でも長崎人は強いよ!被爆しても水害に合っても噴火しても立ち上がってきた!

2005.07.23 23:34 URL | パピコ>ブン丸兄さん、えりちゃんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

昭和57年と言うと、既に八ヶ岳でペンションをしていました。
お客様が寝静まった後、深夜ニュースを見ていた記憶があります。
長崎、大変でしたよね。
残った人が、こうやって思い出す事が一番の供養になるのでしょう。
良い記事をありがとう。

2005.07.24 12:38 URL | くまぱぱ #FYw9ytiQ [ 編集 ]

パピコさん、こんにちは
コメントありがとうございました
私も周りの人達も被害がなく無事でした
ご心配をおかけしました
記事を読んでいて自然の怖さを改めて知らされました、すごく怖い体験をされたのですね
自然に対してもっと積極的に
みんなで対策を考えいく時期にきているのかもしれないですね

2005.07.24 14:44 URL | りんご #- [ 編集 ]

■くまぱぱさん
そっかぁ。ペンション始めて何年かの頃ですね。記憶はしっかりと残っていますがこうやって文章にするのは初めてです。今一度自然の怖さを考える機会になりました。風化させちゃいけない。もう災害が起こらないように…。
■りんごさん
震度5と聞いた時はドキリとしましたよ(>_<)ホント何事もなくよかったです。記事に出てくる母親を亡くした同級生の男の子と最近よく会います。彼を見る度に大水害の事を思い出します。災害で家族を亡くし辛い思いをする人が一人でも少なくなるといいんですけどね。

2005.07.24 20:29 URL | パピコ>くまぱぱさん、りんごさんへ #- [ 編集 ]

災害は、予想もしない時に来るから怖いよね。
土曜の地震も、このあたりは、震度5弱でかなり揺れたよ。部屋に帰ってみると、TVの上の写真が、すべて倒れてました。近所では70m位の、地割れがおきてニュースにもなってたよ。犠牲になった人の冥福と、教訓を胸に生きていきたいね。

2005.07.25 08:50 URL | 千葉りゅう #- [ 編集 ]

スマトラ沖でまた地震あったみたいですね~。怖い!
土曜の地震は電車に閉じ込められたり、エレベーターの故障も何万件もあったみたいですね。その割には被害が少なかったのは直下型ではなかったからかな?
もっと大きいのが来ないといいですけどね。

2005.07.25 12:53 URL | パピコ>千葉りゅうさんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

あれから23年も過ぎたんですね。
あの日の雨の降り方は異常でしたもんね。
夜、食事をとりはじめた瞬間停電になり、今までテレビなどの音で気がつかなかった外部の雨音のすござに気がつき、外を見ると暗闇の中に白い水しぶきがカーテンのようになってたのを覚えてます。
翌朝、雨戸を開けた時、いつもと違う風景に気がついた。谷間をはさんで向かいの山ぼ中腹にあったはずの家が消えていた。
何がおきたのかわからず
山が崩れたんだと気がつくまでに時間がかかった。

初めて自然に対する恐怖を感じた瞬間だった。

地元を離れ、長崎に帰るたびに街の様子は変わっていくが、あの日の映像は今でも変わることなく心の映像として残っている。

2006.07.24 09:40 URL | 大魔人 #Z7j5T8H2 [ 編集 ]

はじめまして^^
コメントありがとうございます。

大魔人さんも被害の大きかった地区にお住まいだったのですね。。
水害の日、何日も前から降り続く雨で道路は冠水し、昼間だというのに空が真っ暗でしたよね。。
未だに大雨が降ると水害のことを思い出す人は多いですよね。

自然を怒らせないように基盤のしっかりした山を築くとか、むやみに木を切らないようにするとか、できることからしていかなければいけませんね。
ふるさとを守るためにも。。


2006.07.24 16:08 URL | パピコ>大魔人さんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

こんにちは。今朝は思い出しながら書いてたら変な文章になって、挨拶も忘れてました。

はじめまして。大魔人と申します。

ネットで長崎水害の事調べてたらこちらの
ブログがひっとして読ませて頂きました。
私は当時出雲町にいました。
大浦天主堂の近くです。

真向かいで発生したがけ崩れで数名の方が
亡くなられました。

あの時は、こんな豪雨みたことないと思ってましたが、最近はそれを越える大雨が簡単に降りますね。
なんだか、地球規模でおかしくなってますよね。

管理人さんがおっしゃる通りできる環境保護
をやっていかないといけませんね。

2006.07.24 17:05 URL | 大魔人 #Z7j5T8H2 [ 編集 ]

再びのご訪問ありがとうございます<(__)>
こんにちは^^

出雲も斜面ですものね。
私は愛宕自動車学校で免許を習得しましたのであのまるい坂は強烈なインパクトでした(笑
いきなり路上初心者にここを通らすんかい!!って(爆
あ、話しが逸れました^^;
あの辺は今蛍茶屋から道路が繋がってだいぶ道が変わっていますよ。

昨日TVで言ってました。(NHKだったと思います)
今のままだと100年後には梅雨明けが8月になってしまうと、、、
映画「ディ・アフター・トゥモロー」のような地球規模の大惨事が起こりかねませんよね。
身の回りのできることから環境保護をやっていきましょう^^

2006.07.25 13:36 URL | パピコ>大魔人さんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

脱線話で申し訳ないですが
私も愛宕自動車学校でした。
検定の時の坂道発進は泣きそうでした(^^;
長崎で運転してれば、全国どこえ行っても
楽に感じます。

2006.07.27 07:07 URL | 大魔人 #Z7j5T8H2 [ 編集 ]

おおw
そうですか!愛宕とな!!
茂木方面の道とか田上に抜ける対面通行とかもすごかったですよねww
ありえんもん(笑
今は広くなってますけどねー(国立病院の辺りとか)
あと私は女性教官だったのでいつも柳埠頭のとこで休憩の時に先生がジュース奢ってくれて恋愛相談とかしてましたね(笑
楽しかったなぁ・・・(爆

あと、長崎でシートベルト着用率が全国1位なのは坂道から体を守るためとの噂もありますよね(爆

でも長崎人は基本的におっとり譲り合い運転なので余所に行って急な割り込みとか早い流れについて行けないときありますよ_| ̄|●
まー、知らない道を走るのは誰しも感覚がわからないもんですけどね~

2006.07.27 16:42 URL | パピコ>大魔人さんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

こんばんは。
そうそう。昔は確か大浦海岸通りに
愛宕自動車学校の拠点がありましたよね。

長崎で腕を上げたおかげで
今では全国どこでも車でいけます~~

今は関東ですが、長崎まで車で帰ったことも
何度かあります。

楽しいですよ~~
疲れるけど(^^;

2006.07.28 21:57 URL | 大魔人 #Z7j5T8H2 [ 編集 ]

そうそう~~
思案橋にもセンターがありましたよね^^
関東からはさすがにきつそうだなあ(--;
広島行くんでもひぃひぃ言ってたくらいですから(汗
私は軽だし『今、ぶつかったら死ぬ!!!!!!』と呟きながら血眼になって運転してましたですよ。長時間は無理!!(笑
100km越えたらハンドルがガタガタいいますもん(笑

でも運転は好きです^^
下道を景色を楽しみながらのんびり走るのんがいいですけどネ~~

2006.07.29 13:40 URL | パピコ>大魔人さんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]

たまたまヒットしたのでカキコします。Chama♪は18歳の時にこの水害を経験しました。少しそのときのことをBBSに書いたのでよかったらうちをお訪ねください。

2007.07.23 22:15 URL | Chama♪ #szTeXD76 [ 編集 ]

ようこそ辿りついて下さいました!^m^
BBSでリンク貼ってくださったんですね!ありがとうございます(o_ _)o))
あの日の事は忘れることができませんし、一長崎県民として供養の気持ちを持ち続けたいと思います。

2007.07.23 23:29 URL | パピコ>Chama♪さんへ #SIR.BgG2 [ 編集 ]













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